2007年6月7〜8日
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6世紀ごろ漢民族に押され南下してきたタイ族が、6〜8世紀にチェンセンに都を開いた。 その後1262年ランナー王国としてチェン、ライへ都を移し、後に1296年チェン、マイ(マイ は新しいという意味)へ遷都。 ランナー王国はこの間幾多の危機を迎えながら(1558年から200年もの間ビルマの支配 下)1939年タイと併合する。 |
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現在のタイはチェンセンから南下してきた2士候により、当時スコータイを占拠していたクメール人を追い払い、この地にスコータイ王朝(1238年)を開いた。チェンセンはこのような意味からしても、タイの源と言える。なぜ、ランナー王国が1939年まで維持でき
たかは、タイ族の減点であることと、アユタヤ朝時代(400年間)この地に太守を置きながら、ランナー王国には一目置いていたからといわれ、この当たりがタイの本当の意味での建国かと思われる!! ただし、タイの中央部には紀元前3年。東はビルマから西はカンボジアの東までを勢力を持ったスワンナプーム王国が存在していたといわれている。たった数行でタイの歴史を語ってすみません。 タイは今年仏歴2554年になる。スタートはお釈迦様が生まれた年なのか?・・・・日本の建国は神武天皇即位の日BC660年とかで、どちらもあてにならんな!!。スワンナプーム(黄金の土地)この響きどこかで聞きませんか?そうです新しい空港名がスワン ナプームです。 |
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チェンセンの港、荷捌きは全て人海戦術(手前は輸出車)
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中国籍の船が多く、中国からメコン川を南下して輸入物資が入る。
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タイ側チェンコンの町(中央がイミグレーションの建物)
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ラオス側船着場。右上の建物がイミグレーション。ヨーロッパ人か?、舟の幅よりお尻の幅の方が広いような気がした。・・・・
ラオス側の町名、地図ではHouayxayと出ている。何て読む?読んでたら口がひん曲がってしまう。(私にはフエサイと聞き取れた) |
こんな所にも一人旅の日本人女性(23歳)、大学を卒業と同時に、2年間バイトで貯めたお金を持って世界一周旅行に出たと言う。まだ、日本を出
て一ヶ月しかたっていないとかで、シンガポールから陸路で、プーケット、バンコク、チェンマイ、そしてこの地へ着た。この先インド、ヨーロッパ、アメ リカへ行くそうだ。すごいと言うより何考えてることか!!この先ルアンパバーンへ2日掛けて川下りの旅。チケット交渉中 |
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タイ側の船着場、ここから国境越えだ。桟橋など無い。海水浴場の遊泳場でボートに乗るようなものだ。
お客の大半がバックパッカー、バックパッカーはどこにでもいる。 |
船着場から町への入口で
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ラオス側小舟の船着場から川下りよう船着場(右写真)まで2キロ間を20バーツで移動。タイの通貨、バーツOK。ラオスでは車は右側通行
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この船で2日かけてルアンパバーンまで?私にはとても出来ない。その、ラオス(ルアンパバーン)とチェンマイは歴史的に深いつながりがあることも知っておきたい。
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ラオスの民家、北ラオスは民族的にタイ語が通じる
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ラオスの缶ビール
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チェンコン。この町で一番のナコン、リバーサイド、ホテル
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600バーツ(朝食付二人で2000円)のホテル泊
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