行って来ました。ラオスとの国境まで

6世紀ごろ漢民族に押され南下してきたタイ族が、6〜8世紀にチェンセンに都を開いた。その後1262年ランナー王国としてチェン、ライへ都を移し、後に1296年チェン、マイ(マイは新しいという意味)へ遷都。ランナー王国はこの間幾多の危機を迎えながら(1558年から200年もの間ビルマの支配下)1939年タイと併合する。
現在のタイはチェンセンから南下してきた2士候により、当時スコータイを占拠していたクメール人を追い払い、この地にスコータイ王朝(1238年)を開いた。チェンセンはこのような意味からしても、タイの源と言える。なぜ、ランナー王国が1939年まで維持できたかは、タイ族の減点であることと、アユタヤ朝時代(400年間)この地に太守を置きながら、ランナー王国には一目置いていたからといわれ、この当たりがタイの本当の意味での建国かと思われる!!
ただし、タイの中央部には紀元前3年。東はビルマから西はカンボジアの東までを勢力を持ったスワンナプーム王国が存在していたといわれている。たった数行でタイの歴史を語ってすみません。
タイは今年仏歴2561年になる。スタートはお釈迦様が生まれた年なのか?・・・・日本の建国は神武天皇即位の日BC660年とかで、どちらもあてにならんな!!。スワンナプーム(黄金の土地)この響きどこかで聞きませんか?そうです新しい空港名がスワンナプームです。

チェンマイから北に向かいチェンライから歴史の街チェンセンを見て、チェンコンという小さな町の船着場から渡し舟で(20バーツ65円)メコン川を渡ってラオス(houayxay-フエサイ)へ一日行ってきました。行く前に友人が、各自が手桶を持っていないと渡し舟に乗せてくれないと言われ??・・、なんの事ちやと思っていたら、手桶で水をくみ出さないと向こう岸までたどり着けないと言うことで、なるほど写真のとおり遠からずの話でした。
ここはメコン川の源流(上流)に近く川幅400メーターぐらいしかなく、北の方面からラオスへ入るルートで、歴史の街ルアンパバーンへ船で2日の旅をする拠点にもなっています。こんなところでもバックパッカーが朝から数十人船待ちしてたのには驚きました。私たちは前日にチェンコンの町では一番高級なホテル、(二人で朝食付き2,000円、当然一人1,000円)この街では一番綺麗で、一番デカイホテルです。今は円が下がって1000円ですが4ヶ月前なら800円で済んでるはずです。本当は二人で250バーツ(800円)のゲストハウスを探したのですが、バックパッカーの客で満室のために2000円のホテルにしただけです。この値段、少し高いだけで部屋はがらがらで、バックパッカーがいかに安い旅をしているのか良く分かりました。翌朝、両岸の船着場にあるイミグレーションで入出国の手続きを済ませてラオスに渡り、その日のうちにチェンマイへ戻りました。

チェンセンの港、荷捌きは全て人海戦術(手前は輸出車)
中国籍の船が多く中国からメコン川を南下して輸入物資が入る。

タイ側チェンコンの町(中央がイミグレーションの建物)

ラオス側船着場。右上の建物がイミグレーション。ヨーロッパ人か?、舟の幅よりお尻の幅の方が広いような気がした。・・・・ラオス側の町名、地図ではHouayxayと出ている。何て読む?読んでたら口がひん曲がってしまう。(私にはフエサイと聞き取れた)
こんな所にも一人旅の日本人女性(23歳)、大学を卒業と同時に、2年間バイトで貯めたお金を持って世界一周旅行に出たと言う。まだ、日本を出て一ヶ月しかたっていないとかで、シンガポールから陸路で、プーケット、バンコク、チェンマイ、そしてこの地へ着た。この先インド、ヨーロッパ、アメリカへ行くそうだ。すごいと言うより何考えてることか!!この先ルアンパバーンへ2日掛けて川下りの旅。チケット交渉中。

タイ側の船着場、ここから国境越えだ。桟橋など無い。海水浴場の遊泳場でボートに乗るようなものだ。お客の大半がバックパッカー、バックパッカーはどこにでもいる。
船着場から町への入口で

ラオス側小舟の船着場から川下りよう船着場(右写真)まで2キロ間を20バーツで移動。タイの通貨、バーツOK。ラオスでは車は右側通行
この船で2日かけてルアンパバーンまで?私にはとても出来ない。その、ラオス(ルアンパバーン)とチェンマイは歴史的に深いつながりがあることも知っておきたい。

ラオスの民家、北ラオスは民族的にタイ語が通じる
ラオスの缶ビール

 
チェンコン。この町で一番のナコン、リバーサイド、ホテル
600バーツ(朝食付二人で2000円)のホテル泊
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